美術鑑定士が呟く、アートのあれこれ

1993年生。栃木県出身。美術鑑定士として都内で活動中です。

自分の信念を貫くことが本当の幸せ②

 

この記事は、

「自分の信念を貫くことが本当の幸せ①」の続編になります。

 

 

 

 

プロのドラマーを志して8年、

 

 

大学生だった当時、就活のタイミングで実家へ帰省し、

 

親へ、プロとして生活していくことを伝えました。

 

 

両親は猛反対。

 

 

当然だったのかもしれませんが、

 

私はそんなに反対をされると思っていなかったので、

 

とてもショックでした。

 

 

なぜなら、中学高校と、親同伴の進路面談で毎回プロを

 

目指すと伝えていたし、大学もプロを目指すために

 

東京に上京。そこまで応援してくれていたはずなのに、

 

なぜ就活というタイミングで

 

猛反対されたのか。

 

全く道理のかなわない行動としか思えませんでした。

 

 

 

哀しいことですが、親は私の目標に対して

 

真剣に向き合ってくれていなかったんでしょう。

 

 

 

 

ただ、ここで親から新たな条件を提示されます。

 

内定を取ったら何を目指しても良い 、と。

 

 

 

 

 

それから、プロになるために

就活というものを徹底的に調べあげました。

 

 

 

 

その結果、

 

東証1部上場企業を挑戦し、

2社目で内定を勝ち穫りました。

 

 

 

自分の大学ブランドをかっている企業に的を絞って、

採用者向けのビジネス本を読み漁り、

あとは典型的な就活の流れに乗れば楽勝でした。

 

 

 

 

 

その後また帰省し、

 

私は母親を乗せてドライブに出かけます。

 

 

 

 

自分が真剣に伝えれば分かってくれるだろう

 

 

そう思い、思いの丈を全て打ち明けました。

 

 

 

 

結果、母発狂

 

 

 

 

元々ヒステリックな性格でしたが、

 

運転しながら殺されると感じるほど、殺気めいていました。

 

今までかけた金を返せとか、いろいろ罵倒されました。

 

 

 

 

自分がプロを目指すことで、この人は不幸になってしまう。

 

そう思った瞬間、自分の中で何かの糸が切れました。

 

 

 

 

 

音楽にハマった17年間で蓄積した、

 

情熱、愛情、苦労を厭わぬ感情。

 

様々な気持ちが私のココロから抜けていくのを

 

感じました。

 

 

 

 

 

 

それから4年。私は社会人として平凡に暮らしています。

 

 

 

 

 

楽器の演奏は一切していません。

 

 

 

 

 

遊びではもうできないという気持ちと、

 

 

17年という歳月が育んだ情熱が燃え尽きてしまった

 

からです。

 

 

 

 

すみませんが、現在のところ、この話はバッドエンドの状態です。

 

 

 

何をしても、音楽をしていたときのあの熱意が湧きません。

 

かといって、音楽を真剣に取り組むのも、もう燃え尽きてしまって

 

したくない。

 

 

 

私は、少なからず、この記事を読んでくださっている方には

 

私みたいにならないでほしいと願っています。

 

 

 

全身全霊を込めて取り組めるものがあるなら、

 

誰がなんと言おうと、やり抜いてください。

 

 

 

そして、私も もがきながらですが、

今を必死で生きています。

 

自分の人生です。

 

 

また音楽のように全力で取り組めるものを見つけ、

 

それを生業とします。

 

 

もう誰にも止めさせません。

 

 

幸せな人生を生きるために。