美術鑑定士が呟く、アートのあれこれ

1993年生。栃木県出身。美術鑑定士として都内で活動中です。

益子焼の人間国宝、島岡達三って?

島岡達三

 

 

   ...誰だよっ。

 

 

 

って思う方の方が圧倒的に多いと思います。

 

 

 

 

 

 

実はこの方、

 

 

古美術業界では知らない人はいない 超有名人物 なんです!!!

 

 

 

 

 

 

タイトルにもある通り、栃木県の民陶である益子焼

 

1996年に人間国宝になった人なんです。

 

 

 

 

 

 

 

じゃあ、この人の何が凄くて人間国宝になったわけ?

 

 

 

って思いますよね。

 

 

 

 

 

シンプルに答えると、「縄文象嵌(じょうもんぞうがん)って技法。

 

 

 

 

表面に縄目の跡をグルグルっとつけて、

 

その縄目の部分に別の素材の土をはめ込んだわけです。

 

 

 

 

 

 

え、そんなことで人間国宝になったの?... 」

 

 

 

 

いやそれが、昭和の日本では

 

その技法を使った島岡の作品が 超絶クール すぎて、

 

爆爆爆ウケしたんです。

 

 

 

 

 

 

縄文土器のような太古へのロマンだったり、

 

 

今までの益子焼、というか世界でも類を見ない芸術性に、

 

 

日本のアート界は震撼しました。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

もちろん、島岡達三

 

イージーモードでその域に達したわけではありません。

 

(一筋縄ではいかなかったわけです、縄だけに。...汗)

 

 

 

 

 

島岡は19歳のときに民藝にめざめるんですが、

 

 

最初に弟子入りした先が、濱田庄司(はまだしょうじ)っていう、

 

とんでもなく凄い人の元。笑

 

 

 

 

どれだけ凄いかっていうと、もうね、益子焼界の王貞治。笑

 

 

もちろん、この人も人間国宝になっています。

 

元祖スーパースターみたいな。

 

 

 

 

 

島岡は、初っぱなから陶芸業界トップレベルのハマショーに弟子入りして

 

本格的にアートに挑んだわけです。

 

 

 

 

 

 

 

意気揚々とアートの世界へと突き進んだ島岡。

 

その結果...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「師匠と作風が変わらねぇ...!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

(丸パクリはオモロイ。笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなかんじで、島岡は師匠である

 

濱田の作風から抜け出すことにとても苦労した

 

ようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな苦境を耐え抜き、気づけば島岡は12年の年月を過ごしていました。

 

しかし、ひょんなことから突破口が見つかります!!!

 

 

 

島岡が31歳のとき、

 

知人から

 

縄文土器の複製品作成を手伝ってほしい」

 

と依頼があり、島岡はそのプロジェクトに参加します。

 

 

 

 

縄文土器を詳細に研究し、表面に縄目をつける技法を学んだ島岡は、

 

「これってもしや、俺の個性じゃ...??」

 

となるわけです。

 

 

 

こうして自らの作品に縄目をつけてアレンジを加えたところ、

 

 

 

 

 

 

バズりました。ありえないくらい。笑

 

 

 

 

 

 

これが島岡達三の技法「縄文象嵌のはじまりです!

 

 

 

 

 

その後評価は世界的に広まり、

 

この無敵の技法で、1996年ついに、国から人間国宝として認められました。

 

 

 

 

 

 

 

益子焼人間国宝、島岡達三。

 

 

益子焼縄文土器のエッセンスを加えて、

 

益子焼を世界的アートにまで高めたその功績こそが、

 

彼を人間国宝たらしめたのでした。

 

 

 

 

くぅぅぅ、、島岡シビれるぅ、、、笑

 

以上!笑